大正琴の歴史的発展

 大正琴の歴史は4つの期間に分類できます。最初の期間は1912年(大正元年)の大正琴発明から中国と戦争に傾いた1937年(昭和12年)までです。第2の期間は第二次世界大戦から13年たった1958年(昭和33年)頃から1960年代の半ば(昭和40年頃)までです。第3の期間は1970年代半ば(昭和50年頃)から1990年代の終盤(平成8年頃)までの間です。第4の期間は1998年頃(平成10年頃)から現在までです。

 最初の期間は、明治政府が熱心に率先して西洋文明を普及していた時代です。音楽も例外ではありませんでした。伝統的な表現での童謡と大衆歌は西洋音楽理論に変えられて明治時代の人達に普及していきました。

 森田吾郎は西洋音楽を手頃な価格で演奏できる楽器として大正琴を考案しました。ピアノ、オルガンやバイオリンは西洋音楽を上手に演奏出来る楽器でしたが、庶民には高価過ぎたことから大正琴が庶民の音楽需要と値段が合い、普及しました。大正琴は第二次世界大戦迄の最盛期には、“ノリタケ”洋食器、“スズキ”バイオリンと並ぶ名古屋を代表する輸出品でした。

 第2期 著名な作曲家古賀政男は“人生劇場”という曲を作曲し、曲のイントロに大正琴を使いました。多くの人達が歌と大正琴の音色を聞き、その美しく哀愁を帯びた音に感銘を受け、大正琴を思い出して習い初めました。ちょうど戦後の復興が進んでおり、人々はゆとりがある日常生活を取り戻していたからでした。こうして大正琴の普及・拡大が始まりました。

 第3期には、大正琴は生活に余裕の出た中高年の女性たちの音楽面で共通の趣味となりました。大正琴の需要で多くの流とか会と呼ばれるグループが出来、お互いが競争し合ったことで成功し、人気を得ました。こうした競争がグループの会員増加を可能にしました。

 第4期は第3期よりもさらに中高年女性の共通の趣味となりました。おなじ頃にアンサンブル演奏用に多くの電気大正琴が製造され、流会派の指導者の間に普及しました。指導者は演奏技術や音楽的表現を研究しました。こうした努力と大いなる需要で大正琴メーカーは品質の改良をしました。その結果はコンサートで開花し、大正琴演奏家は素晴らしい音楽を表現するとの認識を得ました。

 近年、多くの大正琴愛好者が高齢者施設の人達に演奏したりしているのは、哀愁を帯びた美しい音色がご高齢の皆様の若かりし頃を思い出させるからです。高齢者に関するさらなる説明は後に記します。