E.オリジナル大正琴はどんなでしたでしょうか?
当初の大正琴は“菊琴”と呼ばれていました。多くの名古屋の歴史本は菊琴について次のように記しています。それは、“1912年の9月9日に新しい二弦の琴が発売になった。9月9日は菊の節句でした。それ故、菊琴と名付けられた。“(※20&21)この楽器には菊のデザインが上の板にありました。
何故楽器が菊琴と呼ばれたのかについて別の見解がありました。それは「最初に"菊琴"と命名し、その後で営業目的から発売日を9月9日(菊の節句)とした。」です。菊の花は天皇家の家紋です。又、菊は日本の象徴です。森田吾郎は菊と言う言葉を使うことで、この琴は日本の琴の代表であるとの意図があったのかも知れません。それとも大正琴は所謂琴とはまったく違うことを意図していたのであろうか。(※22)大正琴の文字に示されています。琴の印刷された文字に違いが見られます。琴の文字にある今という文字を見て下さい。下記右の赤文字が正しいです。
※20.横から見た菊のデザイン
※21.初期モデル
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※22.「琴」の文字の向きを注視して下さい |
もしこの意見が正しければ、彼の発明の熱意と楽器のネーミングは関係しています。その一方、現実的な見解もあります。文字が間違っているのは、“非売品”を意味していたとの見解です。数台の二弦の大正琴を調べました。すべて上記左側の文字でした。これは正しくないことを意味するのでしょう。もしこの“非売品モデル”が噂で販促の一種であったならば、このアイデアを考えついた人は“やった!!”と言っていたに違いありません。と言うのは文字の違いが貴重で人々をたくさん買う気にさせたからです。さらにもう一つ別の見解をご紹介します。
大正琴の形を(※23)菊水の紋から型どったことから●4.菊琴と名付けたという見解です。こうした見解も大正琴がとても売れたことと森田吾郎の魅力的な性格からだったからかも知れません。
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23.菊水の紋 |