よくある大正琴の質問と回答(FAQ)

 

C何が大正琴のアイデアの元となったのでしょうか?

 森田吾郎は海外で見たであろうタイプライターのキー構造と日本独自の二弦琴を参考にして大正琴のアイデアを得たと多くの大正琴紹介本では説明しています。1989年(平成元年)には別の意見がありました。ピアノの鍵盤構造を参考にして発明されたと言っています。タイプライターの構造、興味を起こすようなピアノの構造と、異なる意見にも拘らず、1980年(昭和55年)発刊の“大須大福帳”にはタイプライター説がピアノ説の9年前に記されていました。1991年(平成3年)発行、愛知県20世紀の記録(明治・大正編)には「ピアノの鍵盤装置を応用することを思いつきタイプライターの押しボタンに似たキーを付け・・」とあります。この表現が的を得ていると思います。理由は文章作成者は読者に文章を明確にする為に、しばしば詳細を省きます。その結果、ピアノ鍵盤説、タイプライターキーメカニズム説となったかも知れません。

 森田吾郎が訪れて滞在したであろうイギリスにオックスフォード大学があり、その中にピットリバース博物館があります。そこには(※17)バイオリーナ・チターと呼ばれる楽器があります。胴には音符が書かれていて大正琴に見られるような2本の糸巻きピンがあります。弓で演奏と言われています。今日、日本ではピックの代わりに弓で演奏する大正琴演奏者がいます。このバイオリーナ・チターからは大正琴の起源についての不思議さを感じます。まだ他に可能性のある閃きがあります。ヨーロッパへの途中アメリカを訪問した時に(※18)アパラチアンダルシマー別名マウンテンダルシマーを見た可能性があります。もし見たのならば、同様に大正琴考案に影響があったのかも知れません。

※17.バイオリーナ・チター ※18.アパラチアンダルシマー

 あるイギリスの音楽歴史家は大正琴は(※19)フンメル同様にチター類に属すると言っています。あるドイツの民族楽器製作者は森田吾郎はヨーロッパにいたときフンメルのような楽器を見て大正琴のヒントを得たかも知れないとの見解をもっています。こうした楽器は18世紀に一般的にはオランダ、ノルウェー、ドイツの北方、デンマークに普及していました。興味がある方はヤフーかグーグルで検索して下さい。


※19.フンメル

 1960年発刊の“楽器産業”著者檜山陸朗氏は本の312ページに大正琴の起源についての見解を記していました。“大正琴は鈴木バイオリン工場創立者鈴木政吉が発明した「玉琴」と言う奇妙な楽器にレミントン(社製のタイプライターの)キーメカニズムを組み合わせたものが大正琴でなかったかと推測される”とあります。彼はニューヨークかロンドンでタイプライターを見たであろう。そして313ページに"ハーディ・ガーディーが森田吾郎の大正琴アイデアを導きだしたかも知れない”とも記している。◆3.新聞記事では“森田吾郎は帰国の際、タイプライターを日本に持ち込むのを忘れなかった”とあります。これはタイプライターのキー構造を活用するアイデアを持っていたに違いないことを意味します。日本では(株)丸善がアメリカから(※3)ウェリントン社製タイプライターを1900年(明治33年)から輸入を開始していました。持ち帰った以外でも研究の為に入手し、研究するのに十分な時間があったことを意味しています。こうした見解は確かなものか否かはわかりませんが、否定することは出来ません。彼は1912年(大正元年)の9月23日に実用新案の申請をしました。彼が参考にしたか否かに拘らず、大正琴の発明者です。と言うのは1912年12月12日に実用新案の登録を得ているからです。